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鎌倉

カテゴリ:鎌倉 の記事一覧

天園から六国見山へ

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「鎌倉アルプス」を形成する山の一つである、建長寺の裏山「勝上けん(しょうじょうけん)」山頂の展望台は、今まで天園ハイキングコースの一部だった。しかし、建長寺側からクレ-ムがあったのだろうか、ハイキングコ-スからはっきりと分離されて、少し建長寺側に下ってから、右に入るようになり、ハイキングコ-スから見えないようになった。ハイキングコ-ス側に新たにベンチ付きの展望地が整備されたが、勝上けん展望台の見晴らしの方が良く見える。明月谷登山口からは約20分で到着するが、知らなければ気づかずに通り過ぎてしまう。
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「勝上けん」は、標高わずか145.1メートルの山だが、鎌倉の街並みと海、建長寺の大伽藍(がらん)を一望することができる。鎌倉は、南を海、残りの三方を山に囲まれた「天然の要塞都市」であることがよくわかる。

富士山も見えるのだが、これからの季節は霞んで見えないのが常態である。冬の夕暮れ時、富士山はシルエットとなって浮かび、その下に宝石のように輝く街の灯が美しいそうだ。一度は行ってみたいものだ。

この後、久しぶりに六国見山に登り、大船まで歩いた。大船の市場は相変わらず、活況だった。野菜や魚、肉をリュック一杯買って、バスで帰宅した。
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道すがら、アジサイが咲いていたが、アジサイは葉が大きく、蒸散の激しい植物である。学名は「Hydrangea:水の器」。
今年は高温のため、早くも咲き始めたが、高温少雨でアジサイには厳しい年になるかもしれない。
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紅葉谷から鎌倉へ

天園から紅葉谷を下りて、八幡宮に。英勝寺・寿福寺を拝観して、小町通りに出る。静かな寺詣でができた。
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英勝寺
徳川家康の側室で、大田道潅四代の太田康資息女とされるお勝の方は、家康との間に生まれた市姫が幼くして亡くなった後、家康の命により、後に初代水戸藩主となった徳川頼房の養母を務めた。家康の死後は落飾して英勝院と称したが、その後、三代将軍家光より父祖の地である扇ガ谷の地を賜り、英勝寺を創建した。
現在鎌倉に残っている唯一の尼寺。江戸時代には水戸徳川家の姫が代々住職をつとめてきた。「花の寺」としても知られ、春は白藤、初夏はあじさい、秋は彼岸花など、四季折々の花々が境内を彩る。
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寿福寺
寿福寺は臨済宗建長寺派の寺。この寺は鎌倉五山の第三位である。昔、奥州征伐に向かう源頼義が勝利を祈願した云われる源氏山を背にした源氏家父祖伝来の地である。
頼朝が落馬が原因で建久10年(1199)に亡くなると妻・北条政子が夫の菩提を弔うため正治二年(1200)に明庵栄西を招いて義朝ゆかりの土地に創建した。
墓地には源実朝、北条政子の墓と伝えられる五輪塔がある。裏山の墓地には明治時代の外部大臣・陸奥宗光や俳人高浜虚子、作家・大佛次郎などの有名人の墓がある。
総門から中門までの300m足らずの石畳の道が美しい。
「一般公開」は立ち入れるのが総門から中門までの参道約300メートルと、裏山にある墓地だけ。1月の元旦から七草の期間と、5月初め1週間が「特別公開」の日で中門が開かれ、その中の境内や仏殿が公開される。
2月の梅の時期にも「特別公開」される場合がある。
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鎌倉桜散策

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今年は桜の開花に異常が起きている。温暖化などの影響で年々開花は早まる傾向だが、今年の桜シ-ズンの速さは異常である。
この暑さの原因は偏西風の蛇行がなくなり、二つの平行に流れる偏西風に挟まれ、日本はすっぽりと高気圧に覆われたからだ。
そのせいで、関東にも北国の春現象が生じている。桜も桃もチュ-リップもシャクナゲもタンポポも一斉に咲きそろい、新緑の季節も始まっている。
このままでは鎌倉の桜も散ってしまうと思い、建長寺から入って、八幡宮、妙本寺、安国論寺、妙法寺、長勝寺、光明寺と、いつもの鎌倉桜コ-スを回ってきた。

天園のハイキングコ-スから建長寺に入る。拝観料500円。
鎌倉五山第一位の臨済宗・建長寺派の大本山。北条時頼が建立したわが国最初の禅寺。14,15世紀に起こった数度の火災で、その多くが焼失してしまったが、江戸時代に沢庵和尚の進言で再建された。
長い歴史が脈々と流れる建長寺はやはり雄大で風格がある。建物や歴史に造詣の深い人にとって、興味の尽きない対象だろう。
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八幡宮はいつもの通り、人出でにぎわっていた。結婚式が多数行われたようで、新郎新婦がビュ-ポイントを求めて鎌倉近辺を歩き回っていた。着物姿の若い女性も目立つ。
華やいだ雰囲気の中に、一人ぼっちのアオサギが目立つ。エサを探す風でもなく、のんびり、ぼんやりした姿に心惹かれた。そういえば、鳩もカモメもいない。桜吹雪が舞う池は静かに春を愛でているようであった。
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何も植えられていない段葛に松や梅が植えられたのが明治のこと。桜が植えられたのは1918年(大正7年)頃のことだったという。
段葛には約250本の桜が植えられていたが、2014年から2016年の再整備で180本程度に減らされた。
立枯れしているものが目立っていたための改修だ。そして、ツツジやサツキは桜の育成を阻害すると言うことで撤去された。

妙本寺では桜と海棠の競演が美しい。駅に近いにもかかわらず、静かな散策が楽しめる。
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安国論寺は狭いにもかかわらず、落ち着ける寺である。裏山に登ると、鐘楼が狭い散策路に建っている。梵鐘は、「南無妙法蓮華経」と「立正安国」の文字が刻まれている。時を告げていた時代もあったのだろうか。
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妙法寺は苔寺とも言われ、新緑の美しい雰囲気のある寺だった。拝観料300円で太い香木を渡され、お祈りを強制されるので、にたりとしてしまった。うんうん、これっていいんじゃない。ただの観光寺に成り下がりたくないという意思が感じられるよ♪
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長勝寺は狭いながら、印象に残る寺である。桜の時期は特に美しい。
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最後は光明寺である。浄土宗関東大本山。広い敷地に大規模な山門、鎌倉では最大級の本堂(重要文化財 1698年の建立)1923年(大正12年)の関東大震災でもほとんど損傷しておらず、建立当初の形式を保っている。庭園は小堀遠州作と伝える蓮池を中心とした庭と、「三尊五祖来迎の庭」と称する枯山水庭園がある。裏山の展望台から材木座の海岸が一望できる。
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鎌倉散歩

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平成巡礼道に入って、衣張山ハイキングコ-スをたどる。子ども自然ふれあいの森付近からパノラマ台を経て、お猿畠の大切岸を通り、法性寺に下る。
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トンネルなど一般道を通り、鎌倉駅に出て、八雲神社から祇園山ハイキングコ-スをたどり、長勝寺橋下で撮影。
朝比奈切通を通って帰途につく。6時間の散歩であった。しかし、一般道が長すぎて、嫌になった。

冬の晴天は青く澄んでいて、数か所で秀麗な富士が遠望できた。
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八雲神社
源義家の弟、新羅三郎義光(しんらさぶろう よしみつ)が京都祗園社の祭神を勧請したのが起源といわれる。厄除けの社。
境内に新羅三郎の手玉石がある。何の解説もないが、武将として名高かったのだろう。ところでなぜ新羅?
新羅は滋賀県大津の三井寺(園城寺)北院にある新羅善神堂(しんらぜんしんどう)、義光が元服の儀式を行なった神社。

この時代には、人物の名前をそのまま呼ぶのはタブー。本名を呼ぶことはその人の魂をひっくるめて呼ぶ事になり、めったな事を言うと実現してしまい大変な事になると信じられていた。言霊に支配されていたのである。言葉に不思議な力があると信じられ、発した言葉どおりの結果を現す力があるとされたのだ。死後も戒名で呼ばれるのは、蘇っては困るということかもしれない。
本名は諱(いみな)といって普段は通称で呼ばれていた。
そこで、相手に官位や役職があるのなら、役職で呼ぶ。また、「通り名」を自分で名乗ることも多くあった。
源氏の3兄弟、義家、義綱、義光は自分が元服の儀式を行なった神社名と、長男・次男・三男という意味を組み合わせて通称にした。
源義家=八幡太郎義家
源義綱=賀茂二郎義綱

紅葉谷から妙本寺へ

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今年も見頃をねらって、紅葉谷を訪れることにした。その後、どこの寺院を訪れるか?去年は明月院だった。素晴らしい紅葉だったが、人の多さに閉口した。やはり、人の来ない穴場を探そうということで、今年は妙本寺を選んでみた。

今年の紅葉谷の紅葉は素晴らしかった。まだ緑の葉っぱも混じっていたので早いかなと一瞬思ったが、歩き進むと、そこは真紅の谷だった。燃え尽きていなかった生への情熱が掻き立てられるような気がした。やはり、ここは鎌倉随一の紅葉である。庭園に配置されたお行儀のよい紅葉とは一線を画する。
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妙本寺までの行程に鎌倉宮や八幡宮があり、寄ってみたが、特筆すべきことは何もない。八幡宮の人出はやはりすごい。
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妙本寺は季節を変えて2度ほど来たことがある。桜の時期もきれいだったが、その時の写真はカメラの操作を間違えて全部消してしまった。今でも悔しい気持ちが残っている。失ったからこそ、会心の作が消えてしまったといつまでも未練がましく覚えているのである。狭いが、紅葉の季節も撮影ポイントがいくつかある。三脚を立てて、絶妙な透過光を待っているカメラマンも多い。
拝観料なしで、これだけの紅葉を楽しめるのは嬉しい。
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妙本寺由来
妙本寺は、日蓮聖人を開山に仰ぐ、日蓮宗最古の寺院。開基は、比企能員の末子で、順徳天皇に仕えた儒学者である。
この地は比企能員一族が住む谷戸(やと)であったところから「比企(ひきが)谷(やつ)」と呼ばれている。比企一族は建仁3年(1203年)に北条一族によって滅ぼされた。この時、まだ幼少で京都にいたため生き延びたのが開基。鎌倉の町に立って生命がけの布教をされている日蓮聖人に出会い、「わが一族の菩提を弔って下さるのは、このお聖人しかいない!」と決心し、自分の屋敷を日蓮聖人に献上したのが妙本寺の始まりだ。